最近、どんどんと自分自身が感覚重視になってきたなと感じています。なぜって、文末の終わりが「そう感じます」とか「気づきました」でしめくくりが多いし、具体的な根拠や理由をあまり求めなくなってきたし、そういうものが無くても決められることってあるんだなと。
なぜ、根拠や理由を求めてしまうのか?
定量的なデータや、数値の裏付けが欲しいのか。
仕事ではもちろん対自分のためではないので、第三者目線のためにも数字というものは必要です。逆に私は仕事上は数字的なものが無いと、判断できないというのもある。
が、自分自身のコトについては・・
どうだろう?
数字的理由や根拠をあまりにも求め過ぎるのは
何か、生活がカサカサとしはじめ、
思考に余白がなくなり、
裏付けを求める気持ち自体が余裕の無さを表し・・・
第六感的な感覚がどんどんと
退化していってしまうような気が。
そうそう、●●という気がする、というのって
本当に大切なんです。
データはつまるところ、過去の経験からしか
教えてくれない。過去ベース、からの方向性。
でも、大きく未来を変化させたい、チャレンジしたい
というとき、そのデータが邪魔になって動けなくなる、
結果的に「しない」という判断をしてしまうのは
とてもとても勿体ないことだなと思う。
現実にフォーカスしすぎると、動けなくなるんですよ。
あまりにも辛いときなんて、特に。
根拠、データ、頭で考えることは
つまるところ、「過去」から出てくるもの。
フォーカスしたいのは、そこではないですよね♡
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