インスタでもブログでも発信内容って、自分の考えだったり、気づき、日記でも何でも「私がこう思った」という内容。
その発信の頻度が高まる イコール こういう考えやクセ、モヤモヤ、気づきがある自分 に気付けることが大きなメリットではないかなと思っている。
(もちろんブログにアップ出来ないような内面の気持ちもあったりすることもあるし、それを書くか書かまいかは結構悩ましいところ笑)
過去の投稿を読み返してみると、こんな風に思っていたな~と本当にありありと昨日のことのように思い出せる内容もあれば、これって「めちゃくちゃ上っ面感ただよってない?」っていう内容もある。
薄っぺらいというか、自分の本心から書いていない内容って、自分はすぐにわかるし、きっと読む人にも伝わっている(なのになぜか無理やり?アップしていたりする・・・)
ワリとブログにはかなり自分の思いを書けると思っているけれど、書けないような内容と書ける内容のボーダーラインは一体どこで、閾値はなんなのだろうって問い詰めていくと・・・
書きたいか、書きたくないのか。
これを読んだ人がどんな気分になるのか。
なんだろうなと、思い至る。
書いている日々(つまり今)と
書いていない日々 との差分は明確で
日常の「些細な(けれどワリと後で大き目になる)こと」の取りこぼしが少なくなり、日常が、日々のルーティンな時間が、単純なリモートワークの日々でも何かしら「いつも何かが起きて」いて、それに対しての「私自身と、人との関わり」があることに気付けること、なのかなぁと。
書いていない日々は、上にあげてみたことたちが常に曖昧に、存在そのものがなんとなくかき消されていってしまう。在ったのに、無かった、というように。
書いていない日々は、何故か他の人のブログやインスタ、Twitter ばかりを追いかける日々だったりもする。何か感情がそこで動かされたりもするのだけど、それも書き留めないから明確に定義づけられず、の繰り返し。
書いている日々は意外に?そうでもなくて、自分の文章を書いたら、すっとパソコンを閉じて読書したり、筋トレしたり、何か他のことをしているな~ということが多い。
どちらの日々が心地よいのか?と問われれば、書いている日々のほうが圧倒的に何か頭を使っている気がするし、言葉を選ぶ作業とか、「私自身、何も知らない、わかっていない」ことに気付くし、ひとしきり謙虚な気持ちになったり、襟を正したり、やっぱり継続していこうと思いなおせる。
なので、出来る限りブログを書く、という習慣は途切れ途切れになっても良いので継続していこうと思っている。